




運営者:蘭丸
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1993年、復帰戦の産経大阪杯をレコードで勝ち、
史上初の天皇賞(春)3連覇に挑む。
しかし、前年ミホノブルボンのクラシック三冠を菊花賞で阻んだ
「関東の刺客」ライスシャワーに徹底マークされ、
直線半ばで交わされて2着に敗れた。
次走宝塚記念では見事に勝利を収め、4年連続GI制覇となった。
秋初戦の京都大賞典では2分22秒7という当時のコースレコード
(当時ホーリックスが持っていた芝2400mの世界レコードからもわずか0秒5差)で、
レガシーワールドに3馬身1/2差をつけ優勝する
(レガシーワールドは49日後にジャパンカップを優勝した)。
この結果、獲得賞金が史上初の10億円越えとなった。
しかし、天皇賞(秋)を前に故障を発症し、そのまま引退。
21戦で連対(2着以内)を外したのはわずか3戦
(天皇賞・秋の1位降着を含む)であり、
競走馬生活の最後まで抜群の安定感を保ちつづけた。
だがこれだけの安定した成績にも関わらず、
年度代表馬に選出された事は一度もない。
(ウィキペディア引用)