




運営者:蘭丸
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小雪舞うこのレースで、テンポイントは66.5kgと言う斤量
(他馬よりも10キロ以上も重いハンデキャップ)を背負わされた
(陣営は66kgを超えたら出走を辞退するつもりだったが、
1kg未満だった為、止むを得ず出走に踏み切ったとされる)。
しかし、それでも軽く勝つだろうと楽観視されていた。
レースの序盤は勢いよく先頭を切り、エリモジョージ(池添兼雄騎乗)や
ビクトリヤシチー(福永洋一騎乗)に絡まれつつ先頭を走っていたが、
第四コーナーを差し掛かった所、がくんとスピードが落ち、
左後肢を故障し競走中止(重い斤量が要因の一つと言われているが、
詳細の骨折原因は未だに不明)。
テンポイントは第三中足骨開放骨折及び第一趾骨複骨折という、
とても手の施しようが無い重傷を負ってしまった。
通常ならば即座に予後不良としての安楽死処置が取られる状態であったが、
スタンドからの「テンポイントを殺さないでくれ!」という競馬ファンの声に、
一旦は馬運車で厩舎へ。
オーナーの高田久成は処遇を一晩考え抜いたが、何とか命だけは、
テンポイントに子孫を残して欲しいと関係者・ファンからの嘆願が相次ぎ、
また、翌日朝刊の朝日新聞がこの種の事故としては極めて異例の
三面トップ6段抜きという大記事の扱いとしたその反響も極めて大きく、
関係者と中央競馬会は僅かな可能性に挑む事となる。
通常ならばあり得ない33名もの大獣医師団
(この時の医師団の中にいたのが、現在の日本中央競馬会理事長:
土川健之である)を編成する医療体制がとられ、この時点での手術は成功した
(当時の医療技術レベルでは、成功する確率は殆ど無かった)。
スポーツ新聞では闘病中からその名を凌ぐ大きな活字の見出しで
症状が詳細に報じられ、連日厩舎に千羽鶴や人参などが届けられたが、
重い体重を三本の足で支えたがゆえに、危惧されていた蹄葉炎を発症、
これが悪化した事により衰弱を極め、
雄大さを謳われた馬体も最後には半分以下になった。
そして闘病すること43日、懸命の治療も競馬ファンの願いもかなわず、
1978年3月5日朝、ついに力尽きた。これは安楽死ではなく自然死であった。
(ウィキペディア引用)