




運営者:蘭丸
紹介されいる動画はYouTubeにアップロードされているもので版権物の知的所有権は、それぞれの著作者・団体に帰属しております。著作権保有者様からの苦情や警告、削除要請等がありましたら速やかに指示に従い適切な処置を講じます。
1989年8月12日のデビュー戦で2着も、
すぐに未勝利とオープン特別を連勝する。
しかしその後、父メジロイーグル譲りの逃げを発揮しては
潰れるレースが続き、3歳の終わりまでは
ほとんど目立った戦績も上げられず、障害転向の話が進んでいた。
転機となったのは5歳(1991年)春に挑んだ天皇賞(春)で、
当時条件馬だったメジロパーマーは意外と好走したため、
障害入りを一時延期することに。
その後北海道シリーズに参戦し札幌記念で重賞初制覇を飾るが、
以後は障害転向まで目立った活躍がなく、
同年11月には障害入り。
未勝利戦を勝った(その後400万条件戦でも2着)。
しかし障害では飛越時の姿勢が低いため、
これ以上障害戦を続けていても大成しないとの判断から、
6歳(1992年)になると再び平地競走に復帰。
同年5月に新潟大賞典を逃げ切ると、
続く6月にはメジロマックイーンのケガなどもあり
有力馬が不在となった宝塚記念も人気薄で逃げ切りGI初制覇を果たす。
しかし当時この勝利はフロック視された。
実際に出走させた馬主サイドも、
メジロマックイーンが出場できなくなった時点で
北海道からの応援をキャンセルしてしまい、
せっかくの優勝セレモニーなのに関係者が少なかったという
エピソードがあるほどだった。
実際秋になると京都大賞典・天皇賞(秋)と大敗を喫する。
この大敗の原因の一つに主戦ジョッキーの山田泰誠が
前のレースで落馬、骨折の重傷を負っていたにも関わらず、
「パーマーだけは絶対手放したくなかった(後日談)」という理由で、
怪我を隠して無理矢理騎乗していたことが挙げられる。
しかし年末にはトウカイテイオーら有力馬を相手に、
ブービー人気で出走した有馬記念を制し春・秋のグランプリ連覇を達成した。
7歳(1993年)には天皇賞(春)の前哨戦である阪神大賞典も逃げ切り、
本番の天皇賞(春)でも3着に粘り、
完全に一流馬の仲間入りをしたことを証明したが、
以後は低迷が続き、翌1994年1月に日経新春杯で
2着に入ったのを最後に現役を引退した。
最終的な競走成績は38戦9勝。
引退後は種牡馬入りしたが、
主な産駒に京都ハイジャンプを制したメジロライデンがいる程度で
種牡馬成績は芳しくなく、2002年を最後に種牡馬からも引退している。
(ウィキペディア引用)