




運営者:蘭丸
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1989年にデビューすると初勝利までに3戦を要したが、
勝ち上がった後の朝日杯3歳ステークスでは5番人気ながら、
1000m通過が56秒9というハイペースの中を先行して
1976年の同レースでマルゼンスキーが記録した1分34秒4の
レコードタイで勝利した。この年の最優秀3歳牡馬を受賞する。
明けて1990年、共同通信杯4歳ステークスに勝利するが、
弥生賞は不良馬場でメジロライアンに敗れ、
続くクラシック第一弾の皐月賞でも出遅れが響いて
ハクタイセイの2着に終わる。
そして迎えた東京優駿(日本ダービー)、
3番人気となったアイネスフウジンであったが、
自ら前半3ハロンを35.7の速いタイムで逃げをうつ。
皐月賞優勝馬ハクタイセイがこれを追いかけるが、
絶妙のペースで逃げたアイネスフウジンは一度も先頭を譲ることなく
最後の直線でハクタイセイは脱落、
さらに中団から怒濤の勢いで追い込んできた
1番人気メジロライアンに1馬身1/4の差をつけて
東京優駿(日本ダービー)を2分25秒3のレースレコードで逃げ切った。
なお、この東京優駿(日本ダービー)のレースレコードは、
馬場改修工事が行われた14年後の2004年のキングカメハメハの勝利まで
破られることはなかった。
このとき、東京競馬場には19万6517人の観衆が詰め掛けていた。
この入場者数は世界レコードであり、
これ以降ダービーデーは入場規制が行われたり、
競馬人気の低迷により、その後もこの記録は抜かれていない。
(ウィキペディア引用)