




運営者:蘭丸
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年が明けて6歳となった1993年、
金杯、中山記念、新潟大賞典といずれも逃げるものの直線で失速し、
入着すらままならないという競馬が続く。
しかし、続く七夕賞では前半の1000mを
57秒4という超ハイペースで通過すると、
直線で脚色は鈍ったものの、
アイルトンシンボリに4馬身差をつけて勝利した。
すると次走のオールカマーでも
ライスシャワーらを相手に大差をつけて逃げ、
結局2着のハシルショウグンに5馬身差の勝利を飾った。
重賞を連覇して挑んだ天皇賞(秋)では、
前日発売で1番人気に推された(当日は3番人気)が、
最下位の17着に敗れた。
その後はピークが過ぎたか、
逃げては直線手前でバテるといった競馬を繰り返し、
結局1994年からは1勝もできず、
1995年には上山競馬へと転厩する。
転厩後の初戦を勝利したもののその後は負け続け、
9歳となった1996年のクラスターカップを最後に引退した。
引退後は宮城県で種牡馬入りするも5頭しか残せず、
1998年1月15日に他界した。
(ウィキペディア引用)